[Di]「初音ミク」から始まるオタクバッシング、でも…

トップページ> 社会 , 2007年10月15日


 正直この記事(というか独り言)をこちらにあげるかどうかは迷ったが、読んでもらいたい部分がたぶんにあるので、はてなではなくこちらに書くことにした。読みにくい部分が多分に含まれているが、文意をくみ取っていただければ幸いである。

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 さて、先日の「アッコにおまかせ!」で、「初音ミク特集」と題しこのソフトウェアとそれを使用する「オタク」を特集したものが放送されたらしいが、その内容が「オタクバッシング」あるいは「オタクに対する侮辱・蔑み」を多分に含む内容であったという。詳しい内容はITMediaに掲載されている。

 ITMediaによれば、最初は初音ミクの紹介をしていたようであるが、ユーザーの紹介を終えたあたりから徐々にそのユーザーの二次元趣味に話題が移り、最終的にはその人物から「オタク」全体をバッシングする形で番組を結論付けたという。番組に登場した「ユーザー」はtask氏という人物で、彼は放送終了後ニュース速報VIP板に降臨した。その一部始終はcoldcupのメモにて読むことが可能。

こちらによると、「アッコにおまかせ!」でははじめ(台本段階では)このようなオタクバッシングは企画されておらず「初音ミク」の特集に終始する予定であったという。それがオタクバッシング的内容を含むこととなったのはtask氏がTBSの悪乗りに全面的に乗ってしまったため。うち合わせの段階でTBS側が「部屋のオタクっぽい部分はそのまま残して下さい」とお願いしたらしく、その時から「オタクバッシング」的内容を含むことが企画されていたことは容易に想像がつく。

確かにTBSが行ったことは酷い。オタクをカースト制でいう「不可触民」の位置に置く、つまり人間の最低辺に位置させることで番組を視聴する層の人間が「こんな底辺がいるのか、これなら俺はまだまだましなほうだ」と失笑できるような内容としている。「差別をしてはいけない」と口先ではみな言うが、結局人間はどこかで誰かを差別しなければ生きていくことができない。そんなこと、結局それが社会のありとあらゆる不満を吸収してきた過去の歴史が物語っている。日本の身分制度にしても、世界の身分制度にしても、長らくそのような制度が一般的に利用されてきたのだ。オタクというものを「現世に現れた不可触民」と視聴者に認識させ、共通の「被差別者」としての「オタク」を配置することで、差別の感情を共有し結果として番組の内容が一般層受けすることを狙っているのである。その受けは「こいつら頭悪いな」という侮蔑からくる「受け」であり本当は気持ちのいいものであるはずがないのだが、悲しいことに自分より底辺を見ると所詮人間はニヤけるしかないのだ。

しかし悪いのはTBSだけではない。自分がテレビに出演するという高揚感から安易にマスコミに同調してしまう「マスコミ出演オタク」こそが元凶であるといえないだろうか。

 メディアの特性というものを考えてみたい。メディアというのは番組が大衆に対して面白くなるように制作する。つまり大多数が面白いと思えば気分を害す少数など見捨ててしまうのである。今回の場合「オタク」とは見捨てられた少数であり面白がる大多数の犠牲者ともいえる。だがこのような構図を作り出すのは「面白さ」を求めるメディアとしてはいたしがたない面があり、必ずしもテレビ局が絶対悪であるとは言えない。もし構図を作り出すことが全面的にできなければバラエティ番組はおろかニュース番組すら放送できなくなってしまう。

 そのメディアの特性を考えると、メディアというのは「見捨てられる少数派」(=これから侮蔑の対象となる存在)を取材をする際限界までそれを人間のカスに見せようとすることが考えられる。「ソフト自体とは無関係な『オタク』をおもしろおかしく取り上げるテレビの印象操作にはうんざり」という声がある、とITMediaには掲載されていたが、それで「オタク」以外の多数派が喜ぶのであればメディアは率先してそれを実行するものだ。メディアなんて所詮はそういうものであって、批判することは大切だが我々はもっと根本的なところを見つめなくてはならない。

 どういうことか?つまり我々はこのメディアの特性を理解して取材に臨まなければならないということである。人間なんてしょせん脆いものだから、普段は「TBS死ねよ」などと言っていても、実際にTBSが自室に取材をしに来てそれが全国放送されるなんていう事態になれば、多くの人物が率先してTBSに協力してしまうだろう。例えば、こんな事例がある。

 私の通う大学に「魔法少女りりかるなのは」のキャラクターのコスプレをして参上しその一部始終をニコニコ動画にアップロードした馬鹿が現れた。その人物はどういう縁かは知らないがTBSだかどこかの番組に出演した。その際、彼はブログで「テレビ局が喜ぶだろうからオタクっぽい格好をして取材に臨んだ」と答えたのである。つまり「オタクであることを心のどこかで誇りに思っている」人物が、世間の感覚も知らずに自尊心を高め世間受けを狙うためにこのような行動に及んでしまうのである。実際の世間の反応を考えればこのような行動は極力避けるべきであるのに、自らの心が自らを情報操作に加担させてしまうのである。この「自尊心」というのはオタクの誰もが心の中でひそかに抱いていることだと思う。「オタクである」ということがいつの間にか自らのアイデンティティの一部となっていると、このような行動、つまり積極的にオタクであることをカミングアウトするようになってしまうのだろう。自分としてはそれを「カッコイイ」「面白い」と感じるのだろうが、世間的にはドン引きである。こんなことをいうと「つまりオマエはオタクであることを隠せといっているのか」と言われそうだが、世間ではオタクであることをカミングアウトしても「キモい」としか思われない。それはもとをただせばそれはメディアがそう宣伝したからであり、そして一部のオタクがメディアの宣伝に加担したからだ。ゆえにオタクであることはおおっぴらに、たとえばメディアなんかで積極的に露出することではない。

 結局のところ我々はマスコミを批判するとともに自らの在り方を再考しなくてはならない。オタクは「オタク」とひとくくりされるような存在ではなく、その中にもいろいろな集団があるのは見てわかるとおりだが、その中の一部が積極的なメディア露出をしたり、あるいは「メディア露出に対し批判的になれない」ことでこのような事態が発生してしまう。もちろんオタクの内部ではそれが「オタクの中でも異端に属す」行為として非好意的に受け止められるわけだが、世間的には「オタク」はひとつのかたまりとして存在しており、異端的行為は全オタクに共通する行為として受け止められてしまう。メディア露出に批判的になれない、そして自らが「少数派」としてメディアにもてあそばれる存在であることを自覚しない「オタク」が居続ける限り、メディアによるオタクバッシングはやまないだろう。また取材を受ける際は編集後のVTRを放送前に見せてもらうと良いようだ。

投稿者 admin : 2007年10月15日 04:34

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