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- JR山手線で外国人がハロウィンパーティー・・・・・・でも
- 「初音ミク」が消える? ―検索エンジンを過信するな!
- 「初音ミク」から始まるオタクバッシング、でも…
- モバゲー小説大賞優秀賞の「メビウスの輪」がエロゲに似ているらしい
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2007年10月28日
JR山手線で外国人がハロウィンパーティー・・・・・・でも
もう10年くらい前からの話であるが、西の大阪環状線と東の山手線の両者では毎年この時期になると外国人が「ハロウィンパーティー」などと称し電車内やホームを占拠する「事件」が行われている。「外国の催しとして」という理由からかどうかはしらないが、ここ数年は鉄道運行会社もほぼ黙認となっており、警察や駅係員が対応に当たるもののあくまでも一般客を待避される程度で外国人を電車から降ろしたり拘束するといったことは行っていなかった。しかしそれが続いた今、この行事は「ハロウィンの名の下に迷惑行為を行ってよい日」と次第に性格を変え、今では多くの一般利用者の迷惑になっているという。
上の写真のように、外国人客で車内はごった返している。これが単なる「仮装パーティー」にとどまっていればいいのだが、今年のはひと味違ったようだ。
車内では酒にまみれた外国人がほかの客にたいし迷惑行為を働いたという。下にその写真を示す。
(車内で露出)
(荷物を載せる網台に登る)
そしてこの後、なんと電車の電灯を破壊し、そして電車をストップさせたのだという。
それがきっかけとなって鉄道警察がくるのだが、しかし「連中を駅外に追い出す」というものではなく、結局その後も騒ぎ続けたという。
さて、おそらくこの行事は10年間も続けられてきたことであるから、来年も実行されるに違いない。来年も外国人が山手線をめちゃくちゃにして騒ぎまくるということである。外国人とか日本人とかそういうこと以前にこれは人間として大変恥ずべき行為なのであるが、彼らにはそれが分からないらしい。その中で我々日本人に出来ることとは何か。
まず、彼らの行動に対して同調しないようにすること、それが一番大切であると思われる。今回の場合、一部には同調した日本人女性が外国人とともに写真を撮っている姿が見られたという。迷惑行為に同調することそれ自体もまた迷惑行為なのだから、これらは絶対に慎むべきだ。
また我々一般人も「外国人だから」と目を瞑るのではなく誠意ある対応をするべきであるし、警察やJRなど適切な機関に適切な対応を要求するべきであろう。「外国ではこれが当たり前なのだろう」と考えてしまいそうだが、ここは日本なのだから日本の考え方や風習、観念が優先されて当然である。「外国人が、日本人が」などというと国際化の時代に反しているだとかナショナリズムだとか何癖つけて文句をいわれがちな世の中であるため「外国人」を優先的にみてしまいがちになるが、あくまでも日本は日本として彼らにもそれを知ってもらうことが、真の国際交流だろう。さらにいえば、警察に関しても、日本人個人・集団あるいは外国人個人が行った場合補導されるのに対し外国人集団で行った場合は補導しない、といったダブルスタンダード的姿勢をとることは信用問題に関わることであり絶対に行うべきではない。
また今は「ネット言論」が成長しているので、これらの行為を世界中に発信することが可能である。げんに一部の動画はすでにYouTubeで配信されはじめている。これらの行為に関して、この後の議論に期待したいところだ。
admin: 01:07
2007年10月20日
「初音ミク」が消える? ―検索エンジンを過信するな!
「初音ミク」で検索しても検索結果に表示されない――今こんな現象がGoogleやYahoo!で起こるようになっており、「電通の陰謀ではないのか」といった陰謀説まで飛び出すようになってきている。やれやれ、いったいどういうことだろう。
ことの内容は簡単な話である。Googleのイメージ検索で「初音ミク」と検索しても、初音ミクの画像が一切表示されない、というただそれだけの簡単な話だ。しかし「2ちゃんねる」では複数の「不可解な話」にからめこれを「電通の陰謀」とする説が流れている。
話はこうだ。近年、電通はホリプロと組んでバーチャルアイドル「伊達杏子」というものを売り出し始めた。しかしこれは全く売れず、話題にもならなかった。近年この伊達杏子をセカンドライフ(セカンドライフは電通が支援していると言われている)上で復活させる、という動きがあったのだが、しかしここに表れたのが「初音ミク」。つまり簡単にいえば、自分たちが莫大な広報費をかけて宣伝したのに全く売れなかった「伊達杏子」に対し、ほとんど宣伝もせずに「ネットアイドル」として爆発的な人気を博した「初音ミク」が妬ましい、だから検索エンジンやWikipediaに圧力をかけて消させたのではないか、というのである。
これに関連し、「亀田 反則」などの画像もすべて表示されなくなっていることから、Googleが何らかの規制を敷いていることはもはや確実である、といわれるようになった。
……とここまで書いたが、正直そんなことはどうでもいい。陰謀論なんてしょせん嘘だ。だいたい、「初音ミク」で検索してももともと画像はひっかかりゃしなかったのだから、この件は単に画像検索という技術自体がまだまだ未熟であるということの証明にしかなっていない。この件に隠れていること、それは結局のところ我々はまだまだ検索エンジンが「我々の側」に存在すると思い込んでいるところである。つまりかつてマスコミの情報をうのみにしていたように、検索エンジンの情報をもまた我々はうのみにしてしまっているのだ。
Web2.0という時代に入る中、我々は検索エンジンを「ネットの中心」ともいえる位置に位置付けた。ページとページ、あるいは情報と情報は検索エンジンによってひとつの「検索結果」として結び付けられ、ほとんどすべてのユーザーがそこからサイトに訪問する。その中で我々は「Googleは何でも検索結果に入れてくれる、情報を全部整理してくれる、とっても素晴らしい企業だ」というような具合で盲目的に検索エンジンを崇拝していた。我々は彼らが営利企業であることを一切忘れ、ウェブのためになら何でもやってくれる救済者のような存在だと思い込んでいたのである。
しかしそれは嘘だ。Googleはインターネットをより使いやすくするための企業でもなければ、ネット上に「集積知」を作る存在でもない。彼らは単なる「営利企業」であり、検索結果から特定の情報を消すことで発生する損失と、それによって企業から得られるマージンについて、多角的な視点から後者のほうが理にかなっていると判断すれば、後者をとる企業である。Googleは我々の味方ではないのだ。
「Googleが自らの利益のためにとある検索結果を消す」、そんなことはいつあってもおかしくないし、げんに今行われている可能性すら存在する。すでにインターネット自体が検索エンジンがなければ活用できなくなっている今、インターネットは彼らに支配されているといっても過言ではない。彼らは隠したい情報を隠し、流したいデマを強調することができる。いわば検索エンジンとは情報を独占的に操作できるネットにおけるメディアのような存在であり、それだけに彼らが「われわれ=利用者の側」にいないことは十分に理解したうえで検索エンジンと付き合っていかなくてはならない。
今回の「初音ミク」の真相は、おそらく画像検索の精度不足、ということで決着がつくだろう。しかし今後、検索エンジンが検索結果を偽装するともわからない。結局のところ我々は検索エンジンなしでネット上で情報をつかむことはほとんど不可能であり、特定の企業に不利益な情報を検索エンジンがすべてアクセス不能な状態にしてしまえば、その情報をつかむ人間の数は極端に少なくなってしまう。ネットにはほとんどすべての情報があると思ったら大間違いである。実際には隠されている情報・ネットに出回っていない情報のほうが格段に大きく、すでにネットは検索エンジンのものになりつつある。
「メディアリテラシー」というものがさんざん騒がれる時代になった。しかしネット上で「メディアリテラシー」を盛んに豪語する人間も、実は「検索エンジンリテラシー」ともいえる「検索エンジンにおける検索結果を適切に判断する能力」はもちえていないのではないだろうか。我々は今、検索エンジンとはどういう存在なのかを改めて考え直し、Googleを盲目的に崇拝する現状を問い直さなくてはならない。
2007年10月15日
「初音ミク」から始まるオタクバッシング、でも…
正直この記事(というか独り言)をこちらにあげるかどうかは迷ったが、読んでもらいたい部分がたぶんにあるので、はてなではなくこちらに書くことにした。読みにくい部分が多分に含まれているが、文意をくみ取っていただければ幸いである。
***
さて、先日の「アッコにおまかせ!」で、「初音ミク特集」と題しこのソフトウェアとそれを使用する「オタク」を特集したものが放送されたらしいが、その内容が「オタクバッシング」あるいは「オタクに対する侮辱・蔑み」を多分に含む内容であったという。詳しい内容はITMediaに掲載されている。
ITMediaによれば、最初は初音ミクの紹介をしていたようであるが、ユーザーの紹介を終えたあたりから徐々にそのユーザーの二次元趣味に話題が移り、最終的にはその人物から「オタク」全体をバッシングする形で番組を結論付けたという。番組に登場した「ユーザー」はtask氏という人物で、彼は放送終了後ニュース速報VIP板に降臨した。その一部始終はcoldcupのメモにて読むことが可能。
こちらによると、「アッコにおまかせ!」でははじめ(台本段階では)このようなオタクバッシングは企画されておらず「初音ミク」の特集に終始する予定であったという。それがオタクバッシング的内容を含むこととなったのはtask氏がTBSの悪乗りに全面的に乗ってしまったため。うち合わせの段階でTBS側が「部屋のオタクっぽい部分はそのまま残して下さい」とお願いしたらしく、その時から「オタクバッシング」的内容を含むことが企画されていたことは容易に想像がつく。
確かにTBSが行ったことは酷い。オタクをカースト制でいう「不可触民」の位置に置く、つまり人間の最低辺に位置させることで番組を視聴する層の人間が「こんな底辺がいるのか、これなら俺はまだまだましなほうだ」と失笑できるような内容としている。「差別をしてはいけない」と口先ではみな言うが、結局人間はどこかで誰かを差別しなければ生きていくことができない。そんなこと、結局それが社会のありとあらゆる不満を吸収してきた過去の歴史が物語っている。日本の身分制度にしても、世界の身分制度にしても、長らくそのような制度が一般的に利用されてきたのだ。オタクというものを「現世に現れた不可触民」と視聴者に認識させ、共通の「被差別者」としての「オタク」を配置することで、差別の感情を共有し結果として番組の内容が一般層受けすることを狙っているのである。その受けは「こいつら頭悪いな」という侮蔑からくる「受け」であり本当は気持ちのいいものであるはずがないのだが、悲しいことに自分より底辺を見ると所詮人間はニヤけるしかないのだ。
しかし悪いのはTBSだけではない。自分がテレビに出演するという高揚感から安易にマスコミに同調してしまう「マスコミ出演オタク」こそが元凶であるといえないだろうか。
メディアの特性というものを考えてみたい。メディアというのは番組が大衆に対して面白くなるように制作する。つまり大多数が面白いと思えば気分を害す少数など見捨ててしまうのである。今回の場合「オタク」とは見捨てられた少数であり面白がる大多数の犠牲者ともいえる。だがこのような構図を作り出すのは「面白さ」を求めるメディアとしてはいたしがたない面があり、必ずしもテレビ局が絶対悪であるとは言えない。もし構図を作り出すことが全面的にできなければバラエティ番組はおろかニュース番組すら放送できなくなってしまう。
そのメディアの特性を考えると、メディアというのは「見捨てられる少数派」(=これから侮蔑の対象となる存在)を取材をする際限界までそれを人間のカスに見せようとすることが考えられる。「ソフト自体とは無関係な『オタク』をおもしろおかしく取り上げるテレビの印象操作にはうんざり」という声がある、とITMediaには掲載されていたが、それで「オタク」以外の多数派が喜ぶのであればメディアは率先してそれを実行するものだ。メディアなんて所詮はそういうものであって、批判することは大切だが我々はもっと根本的なところを見つめなくてはならない。
どういうことか?つまり我々はこのメディアの特性を理解して取材に臨まなければならないということである。人間なんてしょせん脆いものだから、普段は「TBS死ねよ」などと言っていても、実際にTBSが自室に取材をしに来てそれが全国放送されるなんていう事態になれば、多くの人物が率先してTBSに協力してしまうだろう。例えば、こんな事例がある。
私の通う大学に「魔法少女りりかるなのは」のキャラクターのコスプレをして参上しその一部始終をニコニコ動画にアップロードした馬鹿が現れた。その人物はどういう縁かは知らないがTBSだかどこかの番組に出演した。その際、彼はブログで「テレビ局が喜ぶだろうからオタクっぽい格好をして取材に臨んだ」と答えたのである。つまり「オタクであることを心のどこかで誇りに思っている」人物が、世間の感覚も知らずに自尊心を高め世間受けを狙うためにこのような行動に及んでしまうのである。実際の世間の反応を考えればこのような行動は極力避けるべきであるのに、自らの心が自らを情報操作に加担させてしまうのである。この「自尊心」というのはオタクの誰もが心の中でひそかに抱いていることだと思う。「オタクである」ということがいつの間にか自らのアイデンティティの一部となっていると、このような行動、つまり積極的にオタクであることをカミングアウトするようになってしまうのだろう。自分としてはそれを「カッコイイ」「面白い」と感じるのだろうが、世間的にはドン引きである。こんなことをいうと「つまりオマエはオタクであることを隠せといっているのか」と言われそうだが、世間ではオタクであることをカミングアウトしても「キモい」としか思われない。それはもとをただせばそれはメディアがそう宣伝したからであり、そして一部のオタクがメディアの宣伝に加担したからだ。ゆえにオタクであることはおおっぴらに、たとえばメディアなんかで積極的に露出することではない。
結局のところ我々はマスコミを批判するとともに自らの在り方を再考しなくてはならない。オタクは「オタク」とひとくくりされるような存在ではなく、その中にもいろいろな集団があるのは見てわかるとおりだが、その中の一部が積極的なメディア露出をしたり、あるいは「メディア露出に対し批判的になれない」ことでこのような事態が発生してしまう。もちろんオタクの内部ではそれが「オタクの中でも異端に属す」行為として非好意的に受け止められるわけだが、世間的には「オタク」はひとつのかたまりとして存在しており、異端的行為は全オタクに共通する行為として受け止められてしまう。メディア露出に批判的になれない、そして自らが「少数派」としてメディアにもてあそばれる存在であることを自覚しない「オタク」が居続ける限り、メディアによるオタクバッシングはやまないだろう。また取材を受ける際は編集後のVTRを放送前に見せてもらうと良いようだ。
