[Di]これでいいのか日本の高校 -未履修問題に見る「受験偏重教育」

トップページ> 社会 > 学校 , 2006年10月27日

世界史を始めとする各教科の未履修問題が問題視されている。うちの学校も一部疑惑があったりするのだが、ギリギリの線でクリアしているとのことだ。おそらく多くの学校がこういった問題を抱え、「もしかしたら自分の所も」とびくびくしている所なのではないか。胸を張って「うちはクリアしている」と言えるような学校はおそらくほとんどないだろうし、たとえば厳密な意味で「理科総合」「理科基礎」などを実施している学校は皆無と言えるだろう。

しかし、今回の未履修問題で浮かび上がったのは「受験偏重教育」である。それぞれの学校が大学進学実績をあげるために受験科目をしぼっていった結果、今回のような未履修問題が発生したのではないか。大学受験を中心とした日本の高等学校教育は、何かが根本的に間違っているのではないか。

まず、高等学校教育とは何のためにあるのかと考えてみれば、やはり義務教育で学んだ「常識」をさらに深めていく場所なのではないかと僕は考えている。理数科や工業科は別となってくるが(これらは大学に行かなくても「専門的な教育」を受けられる場所なのではないか)、普通館に関して言えば、そういえるだろう。専門的な教育というのは大学で行うべきであるし、そうなってくると高校では多くの科目を学び、その中で自分が将来的に学びたい職業を選択していくことのできる場とならなくてはならない。そう考えると、未履修問題というのは生徒にとって実は非常にもったいないことなのではないかと思えてくる。

多くの学校では、高校1年次に国語、英語、理科、社会、数学と5教科まんべんなく授業を行う。これによって、生徒は自分がどのような科目に対して適性をもっているのか、どのような科目を専門的に学んでいきたいのか理解することが出来る。しかし、未履修問題で問題となっている学校では、例えば世界史が行われていなかったり、理科の科目数が少なかったりする。「世界史」を学んでいない生徒はその分野への興味を持つきっかけそのものを奪われているし、「物理」を行わなかった生徒はそれに対する興味を持つきっかけそのものを奪われていることになる。つまり、きちんと履修した生徒に比べ、始めから選択の幅が狭まっているということだ。学校が大学進学実績(合格実績)をあげ、名前を有名にしたいというその政策の犠牲に生徒がなっているとも言える。

僕は前から高校教育が受験中心になっていることに少し違和感を感じていた。具体的に言えばそれは英語教育なのであるが、例えばよく「日本人は英会話ができないから、高校からもっと英会話の授業をやるべき」とかいうけれども、実際受験で英会話の能力を問われないからという理由でそのような授業は一切行われない。行われるのは、英文法、そして文章読解、英作文程度のものである。確かに英会話の授業をやらないと英語を話せるようにはならないのだと誰もが認識しているのに、それは大学合格実績という目に見えた数値によって表されないからこそ、どの学校もやろうとしない。正直言って、英文法などあそこまでマニアックにやる必要はないと思うし(というか、僕が授業を受ける過程でも「これは現在は使われるようになったのでok」とか、いわゆる「クジラの構文 -A whale is no more a fish than a horse is-」は現地人はほとんど使わないとか、じゃあ何のためにやっているのか?というのがたびたびあった)、学術的な文章の読解ばかりしていても会話が出来るようになるとは到底思えない。でも、そういうことしかやらないのは高校のせいでも、先生のせいでもない。学校が経営を保つためには目に見える「合格実績」が何よりも大切だし、そのためには「合格実績」を高めない要素は排除しなくてはならないからだ。本当に教育内容を変えたいならば、大学入試試験が変われば自然と高校教育内容も変わっていくというのが、現状だと思う。

合格実績を高めるために本来履修しなくてはならない科目を履修させなかった、これは確かに学校が悪い。けれども、そこには「大学受験がそれほど重要な存在である」ということが隠れている。このご時世、大学合格実績の高い学校が選ばれていく。そんななかで、どうやって受験以外の教育を行えというのだろうか?特に中堅校と言われる学校は生き残り競争に必死なのだ。少子化の時代、ますます生徒数は減っていくのに、実績がないとなると、ますます選ばれなくなる。

今回の未履修問題は、「受験偏重教育」についての問題提起をするいい機会だと思う。受験に必要ない科目は高校1年生からすでに勉強しないというのは明らかにおかしい。それは教養をつけさせ生徒に幅広い未来を約束するという高校の理念から明らかに外れているし、そういった生徒は「受験偏重教育」の犠牲者である。高校教育は大学受験に縛られるあまり、本来の理念を忘れてしまっているのではないのか。高校は大学予備校ではない。


投稿者 admin : 2006年10月27日 18:55

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