[Di]これでいいのか?日本の言語教育

トップページ> 社会 , 2006年03月17日


なんと、公立小学校の9割で英語教育を行っているらしい。

 小学校段階で英語教育を実践している公立小は今年度、すでに全体の9割を超えていることが文部科学省の調査で分かった。
「総合的な学習の時間」を使い、歌やゲームなどの英語に親しむ活動などを行っているケースが多い。
 小学校の英語教育を巡っては、中央教育審議会で必修化に向けた検討を進めているが、現場ではすでに広く浸透している実態が浮かんだ。
 調査は今年2月、全国の公立小計約2万2000校を対象に実施した。
 それによると、英語教育を行っている公立小は93・6%。小1で実施している学校も75・1%に上った。

これでいいのか?日本の言語教育は。

そもそも、日本の公用語は日本語のはずである。小学校の頃はもっと国語教育に力を入れた方がいいのではないのだろうか?というのも、これは僕自身の体験(というか今困っていること)からもいえるし、本来の英語教育のスタートである「中学校」についての観点からも言うことが出来る。だいたい、そんな子どもの頃から英語に親しんだって、中学高校と英語漬けになるのだからはじめのうちは日本語力を高めておいた方がいいに決まっている。なぜか?

僕たち日本人は、英語を英語のまま理解することは出来ない。英語は、日本語に翻訳されてその日本語を理解することで、僕たちは英語を解す。帰国子女の人たちはそうではないみたいだけれど、日本にいる限り、英語はそういう風に理解される。
けれども、日本語の理解が不十分だったら、「英語->日本語」のプロセスのあと行われる「日本語の理解」ができなくなってしまうのではないだろうか?

僕自身の話をしてみる。
自慢ではないが、僕の英語の偏差値は70を超える。しかし、国語は65程度である。他の教科に比べ、僕は国語の成績が思わしくない。これは、ひとえに読解力不足に起因するものだと僕は考えているし、そのためにいろいろなことをやっている。(しかし、読解力はそんなに一長一短に伸びるようなものではないので、なかなかできるようにはならない)
しかし、最近英語も点数がのびないのだ。200点満点のテストだと、どうしても180台にのらないとか、そういった感じである。長文は読める。わからない単語もない。和訳問題はパーフェクトにできる。しかし、内容一致問題等の日本語力が要求される問題が解けないのである。これは、おそらく日本語力不足に起因するのだと思う。

つまり、英語は日本語が出来ないとパーフェクトに理解することは出来ないのではないかと思うのだ。そのためにも、最初のうちは国語力をたくさんつける方がいいのではないか。

もうひとつ、中学に入って初めて始まる教科が「英語」である。そして高校受験、大学受験と非常に重要視されるのが「英語」である。つまり、非常に重要な教科である「英語」は、小学校での成績には一切左右されず、同時にスタートを切ることが出来る唯一の科目なのだ。数学が出来ない、国語が出来ない、などと苦手な教科が有っても、英語は中学校から始まるので、中学校からココロを入れ替えて勉強すれば英語だけはある程度得意になるかもしれない。英語は受験を左右する教科だから、英語だけでどっかの大学に入れるかもしれない。けれども英語が小学校から有ったらどうなるだろう?スタートは小学校、つまり、受験を意識し始める中学生の段階で、唯一トップクラスに追いつける可能性のあった英語という教科も、中学入学の時点でかなりの差がついていることが想定されるということになる。しかも、小学校における英語教育はまちまちだから、小学校で英語をやっていた人間が圧倒的に有利になってしまう可能性もある。

さらにいえば、かわいそうなのは小学生かもしれない。
今の小学生は唯一の「ゆとり教育」世代として、今後も名を馳せていくことだろう。僕自身、「ゆとり教育」が開始された現行指導要領の申し子である(ただし、その影響はほとんど受けていないが)。今後小学校での英語教育の必修化が行われるとすれば、中学受験においても英語が受験科目として加わる可能性がある。これは小学生にとってはきつい。小学校から勉強ばかりして、何かうれしいことが有るだろうか?結局、英語を小学校からやることは、小学生の時点で既に学力に大きな差を付けること、小学生に大きな負担を強いること、そして日本語力の低下につながるだけなのではないだろうか?いままでだったら、中学校から始まる英語によって大きな挽回が可能だったのに。

もう一つ、「日本人が英語がしゃべれないのは、教育が問題である」という論点がある。
この論点は、僕から言わせてもらえば弱冠違う。問題は「英語」ではなくて、「大学受験」にあると思う。
全国の高校生は、はっきりいってしまえば、学習指導要領に合わせて勉強しているのではなく、大学の要求する「大学受験」に併せて勉強しているのだと思う。だからこそ、学習指導要領が変わっても旧課程の勉強をしなければならないし(センター試験を除く)、いろいろ大変である。その中で、英語は会話重視ではなく、論文を読んでその論旨を理解したり、文法的な内容を習ってその理解を求めたりと、「英語を話す」ということを目的としていないのは明らかである。難しい単語を暗記して、論文を読んで、要約して...。そんな能力は、はたして会話能力に生かされるのだろうか?

大学側の要求水準が「会話重視」に変わらない限り、日本の英語の会話水準は決して高くならないだろう。しかし、それを高めるために小学校から英語を勉強させるというのは、少し間違っているような気がしてならないのだ。

投稿者 admin : 2006年03月17日 15:04

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