[Di]若手作家がつぶれる日
トップページ> 社会 , 2005年03月09日
最近若手作家というものが増えているらしい。というか、先日のクローズアップ・現代によれば、 書店の売り上げの3割を若手作家が担っていると言うことで、そうとうの人気なのだろう。
と、いかにも若手作家の本を知らないといった感じで書いたが、あの手の本は一通り読んだ。「インストール」から始まり「アッシュ・ ベイビー」「黒冷水」、そして「野ブタ。をプロデュース」。どうしてその手の本を読んだかというと、それは何を隠そう、 僕と彼ら作者が同じ世代であるからだ。その中には同じ世代として感じるはずの協調感があるはずだった。しかし、読後に残ったものは、ただの 「面白かった」という感想のみ。それもまた、マンガを読み終えたときに似た感じの。私は、 文学的感動とは程遠いそのようなことしか感じなかった人は多いと予想する(良い作品を読んだ後は、しばらく考え込んだりするものだ)。
ではなぜ現在の一部の大人たちは若手作家の作品を高く評価し、そして多くの若手作家を誕生させているのか。そして、 若手作家は今後どうなるのだろうか。
まず、どうして一部の大人たちが若手作家の作品を高く評価しているか、についてだが、これは現在の若手作家が書く文体が、 今までのそれとは大きく異なっているからだ。
今まで、小説を書くといえば、過去の偉大な作家の手法を模倣するだとか、売れている作家の手法を研究するとか、 無意識のうちにそのようなことが行われていた。しかし、現在ではそのようなことはおこらない。なぜか? それは彼らはほとんど本を読まないのにもかかわらず、小説を書いているからだ。既形の小説像というものをもたないため、 より自由に表現することが可能なわけだ。
しかし、若手作家の文体と言うのはどれも似たり寄ったりである。ようするに、 若手作家は確かに過去の文豪の手法を模倣することはしていないが、彼らの世代を象徴する大きな文化である、「マンガ」 の手法を真似ているといえる。
私にとっては、綿矢りさも金原ひとみも在原竹広(電撃文庫:マンガみたいな小説)も尾田栄一郎(ワンピースの作者)も変わらない。 それは、どれもが同じマンガの手法を用いていることにある。一線には、歯切れがよく、理解しやすく、しかも新しいと評価される。 しかし逆を言えば、「考える」という小説の楽しさがなく、娯楽のためだけの文学を形作ることにつながっている。大人たちは、この 「マンガの小説化」と、自分達が評価している小説がマンガを基にしているということに気がついているのだろうか。
たしか文学界新人賞であっただろうか。一番最初に10代の受賞者を出したのは。あのころはよかった。しかし、
やはり企業と言うのは利益中心主義なのだ。若者が売れると分かると、たくさんの出版社が若者を選出し始めた。特に、文藝賞に関しては、
既に若者向けの賞という色合いが濃くなっている
(私としては文芸誌を一度も買ったことのないような人間がその文芸誌に作品を出すべきではないと考えるが)。文学賞に関して言うと、
「マンガ手法」を用いた作品が応募総数のかなりを占めるため、全体の質が下がっているせいか、
山田詠美は文学界新人賞の選考委員を辞任してしまった。
私が思うに、偉大な小説家とは、自分と大きく年齢が離れている主人公を扱う小説を書いてしまう人間である。現在、 多くの若手作家は中学高校を題材とした作品を書いている。今後、40歳や50歳になったとき、彼らが(もし小説を書いているとすれば) そのときもまだ10代の人間を主人公とした小説を書いているようならば、才能がないわけではないのかもしれない。
さらに、若手作家には知識がかけていると思うのだ。だからこそ小説に含まれる語彙がかんたんなものとなり、 分かりやすさを生んでいるのではないだろうか。大人になってから知る言葉と言うのは多数存在するはずであるし、それらを用いない、 用いることができない彼らの本は同じように語彙のない同世代の人間にとって受け入れやすいものなのだろう。
「アッシュ・ベイビー」という本がある。芥川賞を受賞した金原ひとみの受賞第一作だ。 アマゾンのページをみると、酷評されているのがわかる。確かにひどい本だ。とても芥川賞の人間が書いたとは思えない。中身がなく、 ただ単に性描写を大きく書いただけにとどまっている。そういえば黒冷水も結局性に関するところにいきついたし、 若手作家ってのは性描写がお好きなのかしら?
私は若手作家は今後徐々につぶれていくと思う。それは、彼らは今若いから脚光を浴びているのであって、今の世代が40、 50歳になったときに今のその年代の小説家よりも劣るのは必至であるからだ。たいした教養もなく、他の著書に触れる機会もない彼らが、 今後どうやって能力を高めていくというのだろう?彼らの能力は、今がピークなのだ。そして出版社だって利益を中心にするのであるから、 売れなくなった彼らはすぐに市場から姿を消すに違いない。「アッシュ・ベイビー」が悲しくもそれを物語っている。 消費者は市場において絶対なのだ。若いうちは本を出せば売れる。「若さ」が内容に先行する。しかし、年をとるとそうはならない。
思えば、「世界の中心に愛を叫ぶ」もクソだった。現在の若者世代は、若手作家の本を読むことにより「カンドー」しているらしい。 あんな大衆文学と変わらない純文学のどこが楽しいのかと問いたくなるが、しかし感動しているのは事実だ。これらの書物を読む若手世代にも、 必要なことがあるだろう。それはいつか彼らが大人になり、それらの作品を再び読み返してみたときに、再び感動を味わうのではなく、そこに 「昔はこんなので・・・」と思えるような感情を持つことではないだろうか。
思うに、若手作家の作品が提示していることは、ただひとつだ。それは、若者の読書離れへの警鐘を鳴らしていることである。
投稿者 admin : 2005年03月09日 19:31
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